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2025年7月31日 (木)

いや、普通に石破は「醜い」だろ。

先日のメディアでは、日本保守党の北村弁護士が石破首相を「どこまでも醜い、奇妙な生き物」と評したことに色々と批判する声を伝えている。各紙が主に橋下氏の「日本保守党の連中は誹謗中傷が酷すぎる。(中略)発言の仕方を一から勉強しろ」などの批判を引用して北村弁護士を批判しているが、・・・・・・いや、普通に石破は「醜い」だろ。

さて。ここで「醜い」という言葉についての考え方、捉え方が重要になってくる。

私は、総理の座のみを目的とし、日本に害悪をもたらす一方で、責任逃れの自己正当化発言ばかりしている石破首相を無能で見苦しいと思う。つまり、石破の発言・行動は「醜い」と思うので、北村弁護士の発言は、的を射たものだと思う。

ところが、これに対して、北村弁護士を批判する人は、「醜い」という表現を使ったことそのものを批判しているのである。ポリコレ的に、人に醜いと言ったことを批判している。要するにルッキズムだと、人を見かけの美醜で判断したと言っているわけだ。

つまり、ここには「醜い」という日本語に関する捉え方の違いが見受けられる。内面も含めているのか、あくまで外見についてなのか。面白いものである。

無論、私とて、現実問題として石破の外見は行動含めて下品で不潔だと思うので、後者の醜いという言い方にも賛同はしているのだが、それをもって批判するのは、やはり避けたい気がする。従って、主題として石破の醜さは前者であると断言したいと思う。

「石破の醜さは、当人の行動・発言によるものであり、外見の下品さは些細な要因に過ぎない。」

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